【自己紹介!!】駆け出しランナーの挑戦ブログ

こんにちは!ノパランニングです!

このブログではランニングを中心に、日々の練習や大会への挑戦を記録していきます!

まだランニングを始めたばかりの駆け出しランナーですが、“自分のペースで続けること”を大事にして走っています。

自己紹介

まずは簡単に自己紹介をさせていただきます。

  • 2000年3月生まれの男性
  • 福岡県在住
  • 身長170cm、体重63kg
  • 2022生まれのシベリアンハスキーと同居中

普段は福岡市内で会社員をしています。本当にどこにでもいるような市民ランナーですね(笑)

経歴

このブログを書き始めるまでの経歴をまとめてみました。見出しをタップして、それぞれの詳しい内容もお読みください!

保育園 ランニングで歳下に抜かれる

私の通っていた保育園では4.5歳児クラスと5.6歳児クラスで、朝のランニングが行われていました。週に1回、1kmほどのランニングでしたがとにかくこれが地獄でした。

5.6歳児クラスの時のランニングでは下のクラスの子にどんどん抜かされていきます。悔しいし、きついし、ランニングは本当に大嫌いでした。

ランニングだけに限らず、徒競走やサッカーもずっと1番下手でした。今になって考えると3月下旬生まれの私が同じ学年の子と同じように運動しようとする方が無理な話です(笑)。でもそんなこと、当時の自分には分かるわけもなく、、、

それでも不思議と、鬼ごっこやサッカーが嫌いになることはありませんでした。ランニングは大嫌いでしたが(笑)

小学校入学 水泳を始める

小学校に入学する頃、喘息持ちだということが発覚しました。どうりでランニングがきついわけです(笑)。喘息が少しでも良くなるようにと、親が水泳教室に通わせてくれました。今考えるとありがたい限りです。

始めた頃の水泳はすごく楽しかった記憶があります。ただ、最初の昇給テストの種目「伏し浮き」が全くできませんでした。なぜか体が沈んでしまう、体をコントロールできない、、、。2か月に一度の昇級試験に落ち続け、気づいた時には1年が経っていました。やっとクロールの練習を始めたのは小学校2年生の夏ごろでした。やはり昔から運動神経は悪かったようです(笑)

水泳は小学校5年生の頃に全種目のテストと個人メドレーのテストまでクリアしましたが、その頃になると本当に練習がきつすぎて水泳も大嫌いになってしまいました。ただ、一応全種目泳げるということがこの後大きな財産になります。水泳に通わせてくれた親には感謝してもしきれません。

小学校高学年 野球を始める

小学校に入学してからよく遊んでいた近所の友達の後を追って、地元の少年野球チームに入団しました。ゆるく楽しく練習する雰囲気のチームで、野球がどんどん好きになりました。人数が少ないのもあり、試合に出て、勝って負けて、水泳にはないチームスポーツの面白さを体感しました。練習がない日も公園で野球をしたり、テレビで野球を見たり、たまには球場に観戦に行ったり、野球漬けの日々を送っていました。

小学校6年生の時、持久走大会が行われました。結果は学年の男子66人のうち65位。小学校6年の時点でも体力の無さは変わっていませんでした。水泳も野球もやっていたはずなのに、、、(笑)
当時は走っているとすぐに喘息の発作が出てしまって走れなくなっていました。ランニングはこのころも嫌いなままです(笑)。

ちなみに、短距離走や縄跳びも苦手でした。特に短距離は遅く、小学校4年生の時の50m走のタイムが、9’58でした。ウサイン・ボルト選手が100mの世界記録を樹立したのがこの少し前で、半分の距離で同じ記録を出して少し嬉しかったのを覚えています(笑)。

中学生 野球部冬の駅伝大会

中学校に入学後、迷わず野球部に入ることを選びました。新入部員は28人。熾烈なレギュラー争いが始まります。運動神経のよくない私は3年間、レギュラーを取ることはできませんでした。それでもやはり野球は楽しく、たまに試合に出られた時は緊張しながらもワクワクし、スポーツならではの充実感を味わうことができました。

プロ野球が春から秋までしか試合をしないのと同様、アマチュア野球も冬の時期はほとんど試合がありません。この時期、全国の野球部員は春に向けて身体を作ります。いわゆるトレーニングというやつです。筋トレ、走り込みなどなど、楽しくない過酷なトレーニングを積んで春から戦う身体を作っていくのです。

「そんな冬のメニューに目標を持たせよう、楽しさを見出そう」と市の野球連盟が企画したのが、市内野球部駅伝大会でした。1.8km×7人の駅伝で、私の中学校からは3チーム、つまり21人が駅伝メンバーに選ばれます。私は駅伝メンバーには1度も入ることができませんでした。各学校のメンバー漏れした選手がオープン走として走る「マラソン枠」で出走したのは悔しい思い出です。

というわけで、中学3年生まで野球をしても相対的な体力は一向につかず、相変わらず長距離走は嫌いなままでした。

高校生

高校生になっても、やはり野球部に入りました。中学校3年間レギュラーになれなかったにも関わらず、高校でも野球を続けたのですから、相当野球が好きだったのだと思います(笑)。高校で野球をする人は当然中学校時代よりもレベルが高く、高校でもレギュラーは取れませんでした。また、野球の練習はよりきつくなり、冬の練習も中学校とは比べ物にならないくらいハードになりました。

高校の冬の練習で特に記憶に残っているものは、「山ラン」です。文字通り山を走るものなのですが、トレイルランとは違い、山の中腹にあるゴールを目指して舗装された道を走ります。学校から片道10kmほどの道の往復でした。それまで長距離走が嫌いな私でしたが、なぜかこのメニューはそこまで嫌いではありませんでした。むしろ、どちらかというと好きなメニューの方でした。そのほかの冬のトレーニングメニューがつらすぎて、相対的に「山ラン」が好きだったのかなと思います(笑)

高校生では冬の体育の授業で持久走がありました。2年生の冬は体育の練習で周りの生徒がだらだら走る中、かなり一生懸命に頑張りました。そのせいかもあってか、持久走大会では順位が30位まで上がりました。長距離が苦手で大嫌いだった小学生時代からは考えられないほど体力がついたのだなと実感しました。同時に、やはり一朝一夕に走力はつかないのだということも痛感しました。

高校生の頃には、走るのが好きだという気持ちが多少出てきていたように感じます。「山ラン」だけではなく、年末年始には1人で30kmほど走ったり、近くの低山を走って登ったりしていました。長距離を走る楽しさを感じ始めたのはこの頃だったように感じます。ちなみに、高校の時に一度走った34kmが、今までの練習での最長走行距離です。もっと頑張らねば、、、(笑)

この頃には、喘息の発作もほとんど出なくなっていました。症状は人それぞれですが、自分の喘息は幸い落ち着いたようです。

大学生

大学生になってもやはり野球部に入りました。余談ですが、中学高校と6年間レギュラーでない選手が大学でも野球をするというのはかなりレアなのではないかと思います。(笑)当然大学生は高校生よりもハイレベルであったのに加え、高校の時同じポジションのレギュラーだった同級生が同じ大学で野球部に入ったため、またしても彼の補欠でした。

相変わらず野球では芽が出ませんでしたが、大学時代は自分の人生において大きな財産になったと感じています。それは「挑戦」する楽しさを覚えたからです。

大学時代の私はとにかくいろいろなことに挑戦しました。富士山で住み込みのアルバイトをしたり、小型バイクで福岡から富士山まで行ったり、釣り、登山、バイク、キャンプなどいろいろな趣味もできました。新しいことをやってみるというのはもちろん失敗もありますが、入念な準備をしたり、必要なものを調べて購入したり、安く代用できる方法を探したりと、過程も含めて楽しめるということを学べました。大学時代を通して、新しいことに挑戦することそのものの楽しさを見出すことができたように感じています。

富士山でのアルバイトを通して、富士山のことが大好きになりました。この経験のおかげで、社会人になってから、富士登山競走にも挑戦しました。

社会人 フルマラソン初挑戦

社会人になり、初のフルマラソンに挑戦するきっかけは意外なところにありました。知り合いが福岡マラソンのボランティアに参加するというのです。それを聞いて自分は「だったら走ってみようかな」と思いました。あんなに走ることが嫌いだった小学生時代からは考えられないほどあっさりとマラソンの参加を決めてしまいます。

ただし社会人になった私も、別に走るのが好きになったというわけではありませんでした。そのため、練習を特に頑張るということもありませんでした。見返してみると、11月のマラソンに向けては、8月に12km、9月に46km、10月に4kmのたった62kmしか走っていませんでした。1か月前で4kmというのは流石に舐めすぎですね。忙しさを理由にサボってばっかりです、、、

マラソンに向けて便利そうだからという理由でGarminを購入しました。Garminのマラソン予測タイムに3:45と出ていたのをみて安心してすっかりレースを舐めていましたね(笑)当然ロング走などもやっていないので、結果は散々でした。サブ4を目標に、なんなら「サブ4いけるんじゃないかな?」くらいのテンションで臨んだ初フルマラソンの結果は4:39:58でした。

こうして私の初フルマラソンは終わりました。道中は地獄で特に30kmを超えてからはほとんど歩いていたのではないかと思います。(笑)

ですが、マラソンから1週間ほど経つと足の筋肉痛も消え、なぜかまた走りたいと思うようになりました。こうして、走るのが大嫌いだった私はなぜか走ることに前向きになっていきました。

この後、ホノルルマラソン、クロスカントリーレース、富士登山競走といろいろなレースに参加しました。また次の年の福岡マラソンにも参加しましたが、サブ4達成はならず。それぞれのレースの話は個別の記事で書こうと思います。

新たな挑戦へ

2回目の福岡マラソンを終え、新たな挑戦を決意しました。それは以下の2つです。

  • ランニングブログ
  • トライアスロン

次の章では、このブログを始めようと思った理由やこのブログについてを、その次の章では新たにトライアスロンに挑戦しようと思った経緯を書こうと思います

このブログについて

このブログを始める理由

このブログを始めようと思った理由は以下の2点です。

  • 初心者ランナーの指標になりたい
  • 自分の練習の記録を残したい

私がしっかりと走る練習を始めるにあたり、メニューの計画や装備などいろいろなYouTubeやブログを参考にしました。ランニング初心者がリアルタイムで考えていることをブログに残すことでこれからランニングを始める人たちの参考になればなと考えています。また、練習でも本番でも、使ってみてよかったものや新しく購入したものなど、ランニンググッズについてもレビューしていければと思います。

日々の練習の記録、大会への参加などの記録をつけることで、読者の皆さんに参考にしていただくだけではなく、自分でも見返すことができればなと考えています。

このブログで発信していきたいこと

  • 練習内容
  • 大会の参加レポート
  • ランニンググッズの紹介
  • ランニングについて学んだこと
  • ランニング以外の日々の活動記録(キャンプ、愛犬との暮らしなど)

あらたな「挑戦」

来年(2026年)中にトライアスロンの大会に出場しようと考えています。

小学校時代のスイミングの経験を活かし、若いうちにトライアスロンに挑戦してみようと決意しました。

レースのエントリーから、トライアスロン装備、練習メニュー、大会レポートなどなど、このブログにて発信していきますのでお楽しみに!!

最後に

これからランニングを始める方、やってみたいことがあるけど一歩踏み出せない方などのお役に立てるようなブログにしていけたらと考えています!

最後に私の好きな言葉で締めようと思います。ブログのサブタイトルにもなっている言葉です。

私は今を走ってる

最高速度で走ってる

SHISHAMO「最高速度」

ロックバンドSHISHAMOの「最高速度」という歌の1フレーズです。

これからも「今」を走り続けていきたいと思います。

これからのノパランニングの活動をよろしくお願いします!

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